『ルービン回顧録』ロバート・ルービン

・クリントンは類まれな聞き上手で、相手の話に熱心に聞き入り、まるで世界が相手を中心に回っているかのように思わせる。
 クリントンは聞いたことを十分に理解して自分の知識にした。

・クリントンは自分への反対意見を部下から引き出そうとしていた。

・私は反対意見を持つ人々も公平に扱うよう最大の努力をした。
 私はXと考えているがライシュはYと考え、タイソンはZと考えていますと付け加えた。

・株式営業部長からこう助言された。
「これまでのビジネスライクで人情に流されない姿勢を突き通すならば、裁定取引人として今後も成功するだろう。しかし、もうすこし懐を広げトレーダーや営業担当者の意見に配慮して、彼らと上手くやって行けるか考えてはどうか。そうすれば経営にももっと幅広く関わっていくえるだろう」いずれにしろ私は心を入れ替え、周囲の話を聞き、問題点や心配事を理解するように努め、彼らの意見を適切に評価する容認した。

人生とは絶対とか証明できる確実性などがない世界で、いろいろな確率を秤にかけるプロセスだ。

裁定取引では、哲学と同じように分析し、その分析に穴がないか分析し、持ちこたえられるような結論を見つける。
たとえ情報が不完全であらゆる問に答えられないときでも、行動を開始しなければならない。不完全な答えしか出せないことを受け入れなくてはならない。

証明可能なものは何もない

私の中にあった懐疑主義、批判的に物事を考える傾向に拍車がかかった。デモス教授に教わったアプローチは「証明可能な絶対なものは何もない」ということだ。定説を受けれず、権威を疑問視した。主張や命題を額面通りに受け入れないこと、見聞したことは逐一、探求と懐疑の精神に沿って評価する事こそ大学で得た最も貴重な収穫だったといえる。

絶対的な意味で何も証明できないという概念を一旦受け入れると、人生をそれだけますます確率、選択、バランスで考えるようになる。証明可能な真実がない世界で、後に残る蓋然性を一層精密にするには、より多くの知識と理解を身につけるしかない。

デモス教授は証明可能な確実性があるというプラトンらの哲学者を尊敬していたが、私達に教えたのは、人の意見や解釈はつねに改定され、更に発展するという見解だった。教授はプラトンなどを取り上げて、いかなる命題でも最終的に究極的な意味で真実だと証明することは不可能であると解き明かしていった。私達には、分析の論理を理解するだけでなく、その体系kが仮説、前提、所見に拠っている点を探し出すことが求められた。

蓋然的思考は長年に渡り極めて意識的な過程であった。意思決定に関わる要素を書き出し、それを天秤にかけて総計する。健全な決定は関連性のある変数を見つけ出し、その一つ一つに確率を当てはめる作業に基づいている。それは分析の過程ではあるが、同時に主観的な判断でもある。したがって最終決定は、すべての入力データーを反映しているが、そこには、本能、経験、勘という要素も加わっている。

蓋然性に注目すると、何事も単純には片付かなくなる。人生を真に蓋然的に見ると、たちまちあらゆる重要な問題の大半が極めて複雑だという認識を持つようになり、そうした複雑さを解決するために、適切な考慮事項やそれに伴う利点と欠点を見極めようとせざるを得ない。これまで私よりも強い確信を抱いている人たちがいた。そのような性格を私は持ち合わせていない。複雑で曖昧な現実というものの本質を誤解しており、最善の結果を得るための決定を下すにあたって、かなり劣った根拠しか提供できないと思われるのである。

ゴールドマン・サックスの裁定取引人として、私は投資見通しがいくら良くても確かなことは何もないことを知るようになった。成功を得るには、入手できるあらゆる情報を評価し、様々な結果が生じる可能性やおのおのの場合にもたらされる損益を判断しようとしなければならない。

私が決定的な回答を信じず、いつも質問ばかりすることは、知人友人ならよく知っている。

財務省のミーティングは一言で言うならば、疑問点を徹底的に洗い出し議論を尽くすことだった。他の選択肢を十二分に検討するためだ。

意見が一致しそうになると、私は必ず反対意見を求めた。私に反対意見を唱えることは、退けられるのでなく、逆によしとされた。誰も異論を出さない場合は、あえて反対意見を述べるように誰かを促した。「反対の意見を知りたい。検討した方がいい」といい、私自信か誰かが反対意見を述べる。反論する自由と同じくらい重要だったのは、権力を持ったこのインテリグループが議論に自分たちのエゴを持ち込まないようにすることだった。

物事の両側を見て見解の一致点を探ろうとするのが私のやり方の常だが、時には冷静に断固たる態度をとるしかない場合もある。

決定は結果だけを基盤にして評価すべきではないと思った。介入をめぐる最良の決定ですら蓋然的で、失敗するリスクが現にある。しかし失敗したからといって、必ずしもその決定がまずいということにはならない。

合併が実現する可能性はどうか、実現したらどれだけの儲けとなって、流れたらどれだけの損をするか、予想する必要があった。これは人生における判断を下そうとするとき私がよくやることだ。

裁定取引に必要なのは、迅速で徹底したリサーチであった。公的に手に入るあらゆる情報を詳細に調べなければならなければならなかった。望み通りの情報が全て手に入ったことは殆どなかった。じっくり考える時間があることもめったになかった。望んだ情報と時間があっても、理論的に考えていかなければ、取引はうまくいかない。最後は数量化できるデーターでなく自分の判断が多かった。

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