海部八郎

・「海部さんは誰より早く出社、全テレックスに目を通し独特の筆致でコメント・指示を書き込んだテレックスが担当部課に廻され、我々が出社した頃はとっくの昔に外出、
 「世界を股に疾風の如く駆け巡る猛烈商社マン“Kaifu = Typhoon”」と付いた“渾名”通り、朝昼夜を問わず超多忙でした」
・「流石に、その時は正直へこみ、周から慰められたのは苦く懐かしい思い出です。然し、誰にも負けない最強の船舶軍団が最強であり続ける為、海部さんは新人と言えども先輩達と同列で厳しく叱り飛ばし、
 強烈にハッパ掛け仕事は体で覚えさすのが肝腎と「厳しく研鑽を積め!」の意を込め、強烈な叱咤・叱責で部下を指導・教育するのが、海部さん独特のやり方であり真意だろうと、改めて回想している次第です」
・「部下に厳しかったが、それ以上自分に厳かったのが海部さんのすごさであり傑物と言われた所以ではないでしょうか。多岐に亘る分野で常に頂点を極めようとトップセールスに徹し、
 自ら世界中を飛び回る行動力、目的完遂まで一瞬たりとも手綱を緩めず、身を粉にして徹底的に追求する態度・強固な意志に強烈なリーダーシップを感じ、大いに感銘受け感服した人は多かったはずです。
 一方で、あの人なつこい笑顔で若い社員にも気さくに声を掛けホッとさせる気配り、冬はスキーに誘ったり、時には美味しいお酒・ご馳走を振る舞われ、我々下っ端が知る由もない政財界・業界にまつわる興味津々の裏話等々、
 仕事を離れた思い出も沢山頂きました。茶目っ気あり憎めない面を合わせ持ち、人の心をギュと掴んで離さないダイナミックでチャーミングな(失礼!)海部さん、敬愛の念を持って懐かしく思い出します」
 (海部さんの思い出

・「出勤は朝早く、まずテレックスルームに行って入電している大量のテレックス束を自室で一枚一枚切り取って、それらを読んで、一枚一枚にそれぞれ大きな独特な字でコメントを書き込んで指導されておりました。
 出勤してきた我々は毎日海部さんのサイン入りテレックスから仕事が始まりました。重要な問題は必ず夕刻確認のために自分で我々の席までこられて結果を聞かれました。
 海部さんは若い我々とのコムニケーションと指導のために朝から頑張っておられたものと思います。
 後日若い社員とのヤングミーテイングに発展して海部さんから政治経済はじめ幅広い情報や興味深いお話を聞かせていただき大変勉強になった事を思い出しています。
 仕事の面では処置や対応が悪いと早速指示や指導に加えて“死ね”、"学校行き直せ“、"会社を辞めろ”、”勉強し直せ“などなど気が弱いと自信喪失で本当に滅入ってしまうほどの激しい言葉で叱られる厳しい指導でした。
 しかし、当時我々は仕事が面白く、厳しい指導にもなれて、益々やる気が出てきました。これらの厳しい指導を耐え抜いて成長しないと本当の船舶部員として認められなかったのではないかと思います。
 一方、我々が夜遅くまで残業をしていると、海部さんはお客さんを接待した後、事務所にお土産や食べ物を持って頻繁に現れ、陣中見舞いをしてくれて、お腹を空かした我々はありがたく戴き仕事に精を出したものでした。
 また時折、車でご一緒する機会があると車内で小学唱歌“ふるさと"をよく懐かしそうに歌っておられましたが当時あの厳しい海部さんに優しいロマンチックな面を垣間見たような感じがしたことを懐かしく思い出します。
 仕事に対して、大変厳しい指導や指示に中、人との関係を大切にして、コムニケーションを大事にして、細かい心遣いの海部流の飴と鞭のご指導に大変感謝しております。」
 (海部さんについての若き日の思い出

・「満足は転落の始まりなり」

・「新しく赴任した船会社の駐在員があいさつにやってきた。
 相手が通されると海部は机の上に足を投げ出し電話中で、電話が終わると椅子から立たずに引き出しを開け名刺を取り出し投げて寄越し「よろしくな」と一言、すぐ新しい電話をかけ始めた」
 (船会社の下っ端駐在員などどうでもいい、それより商談相手と電話することのほうが重要というのは合理性の観点から筋が通っている。
 我々は無礼がないように、人によって態度を変えないようになどと育てられるが「人生は短い」どうでもいい相手は徹底的に切る、無礼に扱ったほうが合理的だ。
 博愛主義や礼儀作法よりも合理主義である。海部は重要人物に取り入るためにはゴルフ、麻雀、海釣りと相手の趣味に徹底して付き合っている。重要人物に対しては徹底的に腰が低く愛想が良かったらしい)

・「スキー好きで、時間をやりくりしてスキーに行っていたが宿泊先の部屋に入るなりあちこち電話をかけまくっていた」

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