・卒業後はあえて中小の山源証券をえらんで入社。
・「最初から大相場をやりましたなあ」 仕手株の中山製鋼にアタックして成功を収めるなど、ケタ外れの新入社員。
・「偉い人は若い者を大事にします。松下さんもぼくと会うてたら、何か元気になるというようなプラス面があったのでしょうね」
・独自の相場観を持ち、大口の顧客を次つぎに獲得した。狙った目標は外さない。松下幸之助すらも例外ではなかった。営業で勝負するなら、日本一の金持ちである松下さんから注文を……というわけで、
 さっそく綿密な作戦を組み立てて行動を開始、一年後に「キリンビール五万株」の注文をもらった。
・二五歳で光世証券を設立する。三〇坪の事務所をひらき、一八人のスタッフでスタート。
・緻密な戦略で順調に業績を伸ばし、一九年で総合証券へ。北浜の地場証券が総合証券になったのは、免許制が敷かれてから初めて。
・松下幸之助曰く「五〇年に一人の逸材」
・田淵節也曰く「かれにはロマンがある」
・最後発として開業した光世証券は大手のまねをして、個人客相手の手数料収入に頼る投網戦法をとっても勝てるわけがないと、四大証券会社の収益源になっている法人部門にしぼって営業を行い、
 少人数で収益のあがる証券会社をつくろうと考えた。法人相手の一本釣り戦法。
・''当時の巽は自室の壁に二畳大の紙を貼って、禅僧のように朝な夕なに向かい合っていた。巽伝説のひとつとして有名だが、
  そこには自社の株式を東証に上場するまでの道のりがフローチャートにして克明に書きこまれていた。''
「これが終わったら、次はこれをやろう……と、ライフワークで取り組み、一つ、また一つと消していっただけですわ」
そのプロセスは、心をこめて一碗の茶を点てるさまによく似ている。茶道の作法は整然とした秩序世界で、すべてが理にかなっている。作法にのっとって、一つひとつ着実に手順を踏んでいっただけ……と言いたげだった。
「暴れん坊とか、そういうものでイメージしてゆくと、きっと、まちがうでしょうね」長男の巽大介(現・光世証券社長)は、きっばりと言いきる。
 息子の眼に映る親父像をたずねると 「弱点、死角がない。どこをどう切ってもスキがないんです」その一言から「作法の人」という顔の輪郭がくつきり浮かびあがってきた。
・「ええか。最後のツメはきちんとやらんとあかん。それが男というもんや」・「紳士というものは身だしなみをきちんとせなあかん。週に一回は散髪に行け!」
・筆まめなほうで海外出張のときは、きまって手紙や葉書が送られてくる。

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