価値判断と相対主義

価値判断を含む主張(価値主張)に根拠はあるか?

・おそらく、すべての価値判断(全価値主張)を含む主張を突き詰めると循環論法か無限後退になるため根拠はない
ミュンヒハウゼンのトリレンマ

全価値主張に根拠がないとどうなるか?

・全価値主張は無根拠であるがゆえに、等価、平等、無差別

全価値主張が等価、平等、無差別である場合、観念的に選択する場合どうすべきか?

・等価、平等、無差別なのでどれを選んでも同じ
・無根拠という意味でどれを選んでも同じなので、どれを選んでもいい、選びたいものを選んでよい
 →利己的、利他的、自己犠牲的、常識的、非常識的、愛国的、売国的、誠実、卑怯、主観的、客観的どれでもいい

実生活における価値判断をどうすべきか?

・客観的には全価値主張は等価、平等、無差別だが、社会的、常識的には等価、平等、無差別ではない
・社会的、常識的には、全価値主張には序列がある

全価値主張は社会的、常識的にどのように扱われるか

・全価値主張には良い、悪い、序列付けがされる
 ex他人を無意味に苦しめることは悪いこと、他人を助けることは良いこと

なぜ全価値主張は客観的に無根拠なのに、社会的、常識的には序列があるのか?

・全価値主張は客観的に無根拠だと理解するには突き詰めた思考が必要だが、大抵の人はそこまで考えないから
・全価値主張は客観的に無根拠という発想は極めて観念的であり、生物としての人間にそぐわないから
・全価値主張は客観的に無根拠ということを前提に、社会、ルールを形成することは極めて困難だから(おそらく無理)

人間、特に政治家や活動家の価値判断を考える

・価値判断のコア(本音)は自分の利益の獲得、損失回避
・利益獲得、損失回避のため状況に応じて、様々な価値主張(建前)を使い分ける
・状況ごと使い分けている各建前が正しい振りをしているが、本当は無根拠であることをおそらく知っている
・民主党はトランプの嘘に厳しいが、クオモの嘘に甘い
・共和党はトランプの嘘に甘いが、クオモの嘘に厳しい
・民主党も共和党も嘘に厳しいポーズを取るが、本当は嘘などどうでも良い
・自分に都合の良い嘘は甘く、自分に都合の良い嘘には厳しい
・敵に都合の良い嘘には厳しく、敵に都合の悪い嘘には甘い

私は、どのように価値判断すべきか?

・真面目で公平で誠実な人物のように価値判断すれば負ける可能性が高い
・民主党や共和党や活動家のように価値判断すれば勝つ可能性が高い
・自らの価値体系、価値序列を他人や社会に合わせる必要はない、他人や社会に支配される必要はない
・自らの価値体系、価値序列を自分で決めて良い
・自由に決めた価値体系、価値序列に合わせて価値判断をすべき
・私の人生は一度きりである、私の人生は私のものである
 社会や他人のものでなく、私自身のものである
 したがって、社会的規範や常識や倫理や良識、あるいは他者の評価など必要がある場合を除いて気にする必要はない
 「やりたいことを、やりたいようにやる、何でもやり放題、無法無天」で良いのである

価値の正しさにについて

・全価値主張は客観的は根拠がなく正しくない
・全価値主張は社会的、文化的には良し悪しがあるとされる(時代によって変化あり)
・全価値主張は私にとって良し悪しがある
 (客観的根拠がなくても、自分の損得に合わせて自由に価値体系、価値序列を作ることで、良し悪しが発生する)

他者の価値判断や価値主張をどう捉えるべきか?

・全価値主張は無根拠なので、真に受ける必要はない
・「相手はそういう考えを持っている」という程度の認識に留める
・意図的ポジショントーク、非意図的ポジショントーク、誤謬のどれか
・彼らの欲しい物を手に入れるための道具に過ぎない、ポジショントーク、N枚舌
・もちろん真面目に信じている場合もある

社会の道徳や規範をどう捉えるべきか?

・道路が右側通行か、左側通行かというものと同じ
 根拠はないが、決めておかないと困るので決めてあるもの
・破ってもいいが、破れば相応のリスク、ペナルティが存在する
・破る危険性を熟慮した上で破るという選択肢は常にある
・全価値主張は客観的に根拠、しかし社会的には良し悪しが存在する
・社会的な良し悪しは、時代や地域や文化によって異なる

社会、文化、状況ごとに価値主張の序列は異なる

・眉毛がつながっている女性は美しい(タジキスタン)
・眉毛が太い女性は美しい     (太眉、バブル期の日本)
・足が小さい女性は美しい     (纏足、清朝)
・太っている方が女性は美しい   (トンガ、フィジィーなど)
・日常で人を殺すのは悪いことだが、戦時下で敵を殺すのは良いこと

デカルトの日常への判断法

・哲学的には懐疑しても、日常では広く受け入れられている常識に従うとした

社会

・全価値主張は客観的に根拠、しかし社会的には良し悪しが存在する
・社会的な良し悪しは、時代や地域や文化によって異なる

価値判断や全価値主張の無根拠さを口にすべきか?

・口にしないほうが良い
・口にすれば、自己の主張も、相手の主張も破壊する自爆攻撃になる
 どうしても引き分けに持ち込みたい場合は使えるが、何度も使えるものでもないので使わないほうがいい
・根本的な無根拠さに触れず、相手の論理を破壊したようにみせるレトリックを使うことができる

・自分の損得に合わせて、価値主張とそれを正当化する論理を選択する
・自分の損得も、価値主張も、正当化する論理もすべて客観的には無根拠だが、根拠があるようにレトリックを駆使する

私にとって正しいとはなにか、誤っているとはなにか

・正しい(価値がある)とは、   私の利益に繋がるもの
・誤っている(価値が乏しい)とは、私の損害に繋がるもの
・客観的正しさも、社会的正しさも、文化的正しさもどうでもいい、重要なのは私の損得、私にとっての正誤だ
・他人の正しさに付き合う必要はない、自分の正しさのために生きる
・私にとって得なことは、私にとって完全に正しい(価値がある)
・私にとってそんな事は、私にとって完全に誤っている(価値がない)

正しい、間違っているの3層構造

客観的に  正しい、間違っている
社会的に  正しい、間違っている
自分にとって正しい、間違っている

私はどう生きるべきか

1.自分の好きなように価値体系、価値基準を作る
 (全価値主張は客観的に無根拠なので、自分で好きに作って良い)
2.自分の好きなように作った価値体系、価値基準を正当化するレトリックで武装する
3.自分の欲しい物を決め、それを手に入れることを正当化するレトリックで武装する
4.自分の欲しい物を取りに行く

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