頭のいい人がまったく新聞を読まないワケ

・物事と距離を置くことはとても価値がある。
 しかし私たちは目の前の仕事と日常につい追われ、時間を消費し、本当に解くべき問いを間違える。
・「解を問う」のが20世紀の教育だったならば、「問いを問う」のが21世紀の教育

・グーグルは解を教えてくれるが、問いは教えてくれない
・情報量、知識、記憶力より、
  思考力、想像力
  人に何でも聞ける「愛嬌力」
  検索をして答えを引き出せる「うろ覚え力」
・思考力・想像力を養うことができれば、
 「問いを問う力」や「つながりを見出す力」、「物事をイメージする力」、さらには「ストーリーテリング力」など、幅広い能力を培うことができる

・真に賢い(ストリートスマート)のは「お笑い芸人」
・知識や情報こそ少なくても、それらを組み合わせて本質を見出し、物語として人に伝え、受け入れてもらう(笑ってもらう)というあらゆる思考ができる
・情報・知識主体の時代から、思考力・想像力が主体になる時代

これからの時代はハードディスクから解を抜くのではない。問いそのものを問い直す必要があるからだ。問いを問い直すことはたやすいことではない。常に考え続ける必要があるし、流れに逆らうことでもあるから、苦痛な作業である。

「私は何か問題が起こったら、非常に優秀な、私よりも頭の良い人を雇い、答えを出させます。そうすれば、自分の頭はすっきりした状態に保つことができますから。そして自分はもっと大事なことに時間を使います。それはたとえば、『考える』ということなのです」

つまりフォード氏の本当のメッセージは、「考えることは過酷な仕事だ。だからそれをやろうとする人がこんなにも少ない」ということだ。

・常識に果敢に挑戦し、発明や発見を行う人物に共通するのは「考える」ことであり、決して知識や情報量の多さではない。
・知識は誰でも手に入る
・知識はあらゆるコストを下げるために使われる
・健康知識で治療費や保険料が下がる、


・情報を軽視するつもりはない。「思考>情報」を若い頃から徹底し、実践している経験から、思考は情報に勝ると思う。
・情報はあくまでも思考のための“潤滑油”である。
・情報はあくまでも思考の素材であり、目的ではないのだ。
・世の中は超情報化社会と言われるが、情報量が増えれば増えるほど人は思考しなくなる。「思考と情報のパラドクス」
・「思考量>情報量」を意識することが大切(図表=『1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法』)
・思考を鍛えたいのであれば、情報を減らし、思考の割合を増やす
・人の意識は有限なのに、むやみに情報を取り入れてしまうと、意識はそれらの情報と結合してしまう。
 これが「固定観念」というものである。

・情報はスポンジのように意識を吸い尽くす「毒」でもある。
・毒となる情報に意識が囚われると、頭がカチコチに固まる。

賢い人は頭が柔らかい人であり、それは意識が自由な状態の人を指す。情報に意識が絡め取られておらず、ニュートラルな状態にあるとも言える。
だからこそ自由に意識を漂わせ、前提を疑い、問いを改めることができるのだ。

・新聞は「化学調味料満載の不健康な食材」のようなもの
・22歳の頃から新聞を読んでいない。必要な情報があればしかるべき人に聞き、
 新聞のデータベース検索も使って情報を取りに行く。最先端の情報も入手する。
・記事はそもそもピントが合っていない、事実かどうかすらわからない。
 新聞とは毎日軽トラックで化学調味料満載の不健康な食材を運んでいるようなもの、思考活動の妨げ
・情報デトックス
 ネットのつながらない山奥の温泉などに行く、テレビを見ない日を作る、ネットに繋がない日を作る
・情報流入を減らし「思考量>情報量」

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